1985-03-08 第102回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第2号
しかし、少なくとも戦前の教育におきましては、四大節といいましたけれども、こういうときには式典をいたしまして、校長先生がその日のお祝いの意義をきちんと生徒さんに訓示なさって、そして日の丸の旗を立てて祝ったものです。そのことが今日できない理由は何ですか。 たびたび立っていただくのは御苦労でありますから、あわせてお伺いします。
しかし、少なくとも戦前の教育におきましては、四大節といいましたけれども、こういうときには式典をいたしまして、校長先生がその日のお祝いの意義をきちんと生徒さんに訓示なさって、そして日の丸の旗を立てて祝ったものです。そのことが今日できない理由は何ですか。 たびたび立っていただくのは御苦労でありますから、あわせてお伺いします。
そしてそこで同時に書き込んだのが、従来の官製の四大節、祝祭日、これは昭和二年に勅令によって休日とせられておったわけですから、それを廃止するというのを国民の祝日法ができるときに書き込んである。つまり官製の祝日でなくて国民全体が祝福する日であるから、これを国民の祝日の法律の中で休日として明記したわけです。
しかし、私の学問的な研究の結果によりますれば、教育勅語の社会的役割というものは、その内容によってというよりも、むしろそれがこの三大節あるいは四大節などの祝日において、おごそかな口調で捧読され、子供たちが頭をたれてこれを聞くというような儀式を通じて子供たちの精神に影響力を与えたということが主であって、あのむずかしい漢文口調の教育勅語が、小学校の低学年の児童などに全部理解されたはずはないわけであり、したがって
四大節のうち紀元節と天長節とは、明治六年の太政布告の第一号、第九十一号によつて設定されております。それから明治節は昭和二年三月三日の詔書によつて制定されております。それから一月一日は古來の慣例によつて定まつたわけであります。それから新年宴会は昭和二年の勅令二十五号によつて明らかになつております。